イビデン事件(最高裁平成30年2月15日判決・判時2383号15頁)⑴では,親会社の子会社従業員に対する2つの信義則上の義務が問題となっていることを,イビデン事件(最高裁平成30年2月15日判決・判時2383号15頁)⑵では,コンプライアンス体制に則った解決をする義務に関する原審及び本判決の考え方をそれぞれ説明しました。
既に説明したとおり,本判決では,原審が認めた親会社の子会社従業員に対する義務を否定しました。
そのうえで,本判決では,「もっとも」として,親会社が,申出の具体的状況次第により,申出をした者に対し,当該申出を受け,体制として整備された仕組みの内容,当該申出に係る相談の内容等に応じて適切に対応すべき信義則上の義務(以下「義務②」といいます。)を負う場合があることを認めているため,以下では,義務②に関して説明します。
● 義務②について
1 はじめに
本判決は,「相談窓口に対する申出の具体的状況いかんによっては,当該申出に係る相談の内容等に応じて適切に対応すべき信義則上の義務を負う場合がある」と述べて,Y1社の義務違反行為の有無について更に検討が進められています。
ここで判示されている信義則上の義務は,直接又はその所属する各グループ会社を通じて相応の措置を講ずべき信義則上の義務(以下「義務①」といいます。)とは異なる義務をいいます。
すなわち,義務①では,コンプライアンス体制の整備により,親会社がグループ会社の全従業員に対して負う信義則に基づく安全配慮義務が問題となっていました。
しかしながら,ここでは,本件窓口に関連して,当該窓口に対して申出を行った者に対する信義則上の義務の有無が問題とされています。
2 義務②の内容
本判決が,当該窓口に対して申出を行った者に対する信義則上の義務が発生する根拠は,次のとおりであると解されます。
親会社が設置する相談窓口を利用した子会社従業員は,相談を受けた親会社が適切に対応するものと信頼し,法的手続き等相談窓口以外の救済手段に訴え出ない可能性があります。
一旦相談窓口を設けて,申出に対応することを表明している親会社としては,このような信頼を害しないよう,申出に対して誠実に対応する義務があると考えられます。
そして,相談者に生じる上記信頼の程度は,具体的な申出に対してどのような対応を行うことが予定されていたか如何により,影響が生じると考えられます。
したがって,本判決は,申出の具体的状況次第により,申出をした者に対し,当該申出を受け,体制として整備された仕組みの内容,当該申出に係る相談の内容等に応じて適切に対応すべき信義則上の義務(義務②)が発生する可能性に言及したと考えられます。
3 本判決の判断
本判決は,Y1社の義務②違反の有無について,まず,Y2の行為を本件相談窓口に対する相談の申出が行われていなかった本件行為1とAにより本件相談窓口に対する相談の申出が行われた本件行為2に分けて,検討を進めています。
まず,本件行為1については,本件相談窓口に対する相談の申出がない以上,信義則上の義務を負うものでない旨判断しています。これは,前記のとおり,義務②が本件相談窓口に対する申出により生じる申出者の信頼を保護することから発生する義務であることからすると,そもそも本件相談窓口の利用がない本件行為1については,何ら信義則上の義務を負うものではないという当然のことを判示しているものと解されます。
次に,本件行為2については,Aにより本件相談窓口に対して相談の申出が行われていることから,法令遵守体制の仕組みの内容等を総合考慮し,結論において義務違反がないと判断しています。
まず,本件申出はXではなく,Aによって行われていました。この点を重視するならば,申出者が異なることのみを理由に,Xに対する義務(義務違反ではない)を否定することも可能と考えられます。
しかしながら,前記のとおり,信義則に基づく義務が発生する根拠が申出者に対する信頼にあることに鑑みると,代理ないし使者によって申出を行った場合にあっても,申出の対象となった者において,相談を受けた親会社が適切に対応するものとの信頼が生じることはあります。
そのため,本判決では,申出者がXではなくAであることから,信義則上の義務を否定しなかったと考えられます。
そして,本判決は,まず,Y1社が本件申出を受け,Y3社及びY4社に依頼してY2その他の関係者の聞き取り調査を行わせるなどしたことを指摘したうえで(①),本件法令遵守体制の仕組みの具体的内容が,Y1社において本件相談窓口に対する相談の申出をした者の求める対応をすべきとするものであったとはうかがわれないことを指摘しています(②)。これは,本件法令遵守体制の仕組み上,申出者の求める行為をすべきとするものとなっている場合には格別,そうでない場合には申出を行った者において求めた行為が行われるものとの信頼が生じない以上は,Y1社がA(X)の求めた行為をしなかったとしても,このことから義務違反があったとは認められない旨判示したものと考えられます。また,本件判決は,本件申出に係る相談の内容が,Xが退職した後本件グループ会社の事業場外で行われた行為に関するものであることを指摘しています(③)。これは,本件法令遵守体制の一環として設けられた本件相談窓口の制度趣旨が,「本件グループ会社から成る企業集団の業務の適正の確保等を目的として,本件相談窓口における相談への対応を通じて,本件グループ会社の業務に関して生じる可能性がある法令等に違反する行為(かっこ内省略)を予防し,又は現に生じた法令等違反行為に対処することにある」(本判決第4項⑵ア)ことからすると,Xが退職した後,本件グループ会社の事業場外で行われた私的な行為である本件行為2については会社の業務の適正の確保や会社の業務に関して生じる可能性がある法令等に違反する行為を予防し,又は現に生じた法令等違反行為とは無関係であるため,本来本件相談窓口が予定していた申出とは異なることを指摘するものであると考えられます。このように,本来本件相談窓口が予定していた相談内容とは異なる申出である場合には,申出者が親会社の対応に対し過度に期待することは適当ではありません。このことから,本判決は,Y1社の義務違反を認めない事情として,③の事実を摘示していると考えられます。さらに,本判決は,本件申出の当時,Y2は,既にXと同じ職場では就労しておらず,本件行為2が行われてから8か月以上が経過していたことを指摘しています(④)。これは,本件申出がなされた時点で,8か月以上が経過している以上,その間に法的手続き等の救済手段を十分とるが可能であり,親会社の対応に対する信頼が生じ,その他の救済手段を取ることができなかったとの関係が認められない旨判示したものと考えられます。言い換えれば,Xの信頼に対する要保護性が低いことを示すものであると考えられます。
このような検討を踏まえ,本判決は,Y1社には義務違反がないと判示しています。この点,義務①では,義務を負わない旨明確に判示していることとの対比からすると,Y1社が義務②を負っていることは一応認めつつ,義務の違反がないと判断しているものと考えられます。
次回は,本判決で問題とされた2つの信義則上の義務に関するこれまでの説明を踏まえた総括を述べます(イビデン事件(最高裁平成30年2月15日判決・判時2383号15頁)⑷へ)。