上場会社において、内規に基づいて退職慰労金を支給する慣行はあるが、株主総会決議を欠いている場合における、退任役員(取締役・監査役)に対する退職慰労金支給議案を株主総会に上程する旨の取締役会決議は、会社と退任役員との間の退職慰労金の支給に関する合意とはならないなどとして、退任役員の会社に対する退職慰労金請求等が認められなかった事例
(日特建設損害賠償請求事件)
東京地判平成27年7月21日 金判1476号48頁(控訴棄却)
第1 判決の概要
本件は、上場企業であるY1社の取締役ないし監査役であったXらが、XらとY1社との間に、Xらに対する退職慰労金を、株主総会の決議を経て支給する旨の合意が成立しているにもかかわらず、当該合意を履行しないとの事実関係を主張し、Y1社及びY1社代表取締役Y2に対し、主位的に、債務不履行ないし不法行為に基づく損害賠償請求として、Y1社の役員退職慰労金支給基準規定(本件支給規定)に基づいて算定された退職慰労金相当額等を請求し、予備的に、退職慰労金支給に対するXらの期待権侵害を理由とする不法行為に基づく害賠償等を請求した事案である。
本件では、Xらに退職金を支給する旨を内容とする議案を上程する旨の取締役会決議(本件支給議案上程決議)がなされていたところ、①本件支給議案上程決議は、Xらが主張する役員退職慰労金の支給に関する合意(支給合意)となり、Xらの請求権を基礎付ける法的効力を有するものか否か、②Y1社がXらに対し退職慰労金を支給しないことが、Y1社ないしY2において、Xらの退職慰労金の支給に関する期待権を侵害したといえるか等が争点となった。
本判決は、①本件支給議案上程決議によりXら主張の支給合意が成立したとは認められず、株主総会の決議によらないでも、退職慰労金請求に関し、何らかの権利性を認めることを前提にしたXらの主張には根拠がないとし、②また、株主総会の決議によらないでも退職慰労金請求に関し何らかの権利性を認めることはできず、またY1社が物的会社であることから、会社内部の人的関係等からXらの退職慰労金の支給に関する期待権を法的に基礎付けることも妥当ではないとして、Xらの請求を全て棄却した。
(参照条文)
会社法361条(取締役の報酬等)
1 取締役の報酬、賞与その他の職務執行の対価として株式会社から受ける財産上の利益(以下この章において「報酬等」という。)についての次に掲げる事項は、定款に当該事項を定めていないときは、株主総会の決議によって定める。
一 報酬等のうち額が確定しているものについては、その額
二 報酬等のうち額が確定していないものについては、その具体的な算定方法
三 報酬等のうち金銭でないものについては、その具体的な内容
第2 事案の概要
Y1社は総合建設業を主たる事業内容とする東証第一部上場の株式会社であり、Y2は、Y1社の代表取締役の地位にある者である。
Y1社の定款には取締役の報酬等についての定めはないが、本件支給規定が存在し、これに基づき退任役員には退職慰労金が支給される慣行が存在していた。
Xらは、Y1社の取締役ないし監査役であったが、Y1社を退任した。
Y1社取締役会において、Xらに対する退職慰労金の支給する旨、及びY1社定時株主総会にXらの退職慰労金支給に関する議案(本件支給議案)を上程する旨の決議(本件支給議案上程決議)をした。
しかしその後、Y1社の連結子会社の会計不祥事が発覚したため、臨時取締役会において、本件支給議案を上程しないことを決議し、Y1社定時株主総会の招集通知には本件支給議案に係る記載があったものの、当該議案の上程は同定時株主総会において撤回された。
そこでXらは、本件支給議案上程決議により、Y1との間に株主総会の承認を得た上で、退職慰労金を支給する旨の合意(支給合意)が成立しているにもかかわらず、当該合意を履行しないと主張して、Yらに対し、主位的に債務不履行ないし不法行為に基づく本件支給規定に基づき算定された退職慰労金相当額等を請求し、予備的に退職慰労金支給に係る期待権侵害を理由とする不法行為に基づく損害賠償等を請求する本件訴えを提起した。
第3 判旨
請求棄却。
1 本件支給議案上程決議の法的効力
Y1社においては、本件支給規定に基づいて退任役員に対し、退職慰労金の支給をする旨の慣行があったと認められ、同慣行に基づいて本件支給議案上程決議がなされたと認められる。
しかし、会社法361条の解釈によれば、株式会社の役員については、定款又は株主総会の決議によって、報酬の金額が定められなければ、具体的な報酬請求権は発生せず、取締役が会社に対し報酬を請求することはできず、この理は、内規で退職慰労金の支給基準が定められ、これまで退職慰労金の支給がなされてきた慣行がある場合であっても同様である。
Y1社は所有と経営が分離した典型的な物的会社であって、会社内部の人的関係等から、上記解釈適用を変更させる必要性があるとはいえない。
よって、株主総会決議によらないでも退職慰労金請求に関し何らかの権利性を認め得ることを前提としたXらの主張は採用できない。
2 期待権侵害の有無
Xらについて、株主総会の決議によらないでも、退職慰労金請求に関し、何らかの権利性を認めることはできず、またY1社は、明らかに所有と経営が分離した典型的な物的会社であることから、会社内部の人的関係等から、Xらの退職慰労金の支給に対する期待権を法的に基礎付けることも相当でない。更に、退職慰労金の支給がなされていない背景に会社の経営状態の悪化が退任取締役の経営責任によるものとして判断したことが窺えることからすると、退職金不支給の判断が妥当か否かは、高度な経営判断に属するもので、裁判所がその合理性をよく判定すべき事項とも考えられない。
よって、Xらの期待権侵害に関する主張には理由がない。
第4 実務上のポイント
取締役が職務執行の対価として受け取る報酬等については、取締役のお手盛り防止の趣旨から、指名委員会等設置会社を除き、原則として定款規定又は株主総会の決議(総会決議等)を要し(会361条1項)、退職慰労金も、それが職務執行の対価として退任後に支払われる趣旨である限り、ここにいう報酬等に含まれる(最判昭和39年12月11日民集18巻10号2143頁)。
そして、総会決議等がない場合には、原則として取締役の報酬等に係る具体的請求権は発生せず(最判平成15年2月21日金判1180号29頁)、仮に取締役が総会決議等なく報酬等を受け取った場合には、当該取締役は、会社に対し、受け取った報酬等相当額について損害賠償責任等(会423条1項、民法703条、同法708条)を負担することになる。
もっとも、総会決議等が存在しない場合であっても役員の報酬等の請求を実質的に認める裁判例が複数存在している。
すなわち、ⅰ)総会決議等がない場合であっても、報酬等についての株主全員の同意があるときは、お手盛り防止という会社法361条の目的は果たされているといえるから、報酬等請求権の成立が認められると解されている(前掲最判平成15年2月21日参照)。
また、ⅱ)東京高判平成15年2月24日金判1167号33頁が、株主全員の同意がない場合であっても、事実上株主の了解を得て慣行とされてきた手続を経て、報酬等の支給決定がされ、実質的に株主の利益が害されないなどの特段の事情が認められる場合には、総会決議等がないことを理由に会社が報酬等の支払いを拒絶することは信義則上許されない旨判示しているように、取締役の報酬等の請求を拒むことが信義則ないし権利濫用にあたるとする裁判例も多数存在する。
更には、ⅲ)オーナー取締役が退任取締役に対して事前に支給約束をした場合には、当該個人は株主総会で報酬等に係る決議を成立させる旨の一種の議決権拘束契約を締結したと見られ、その義務を懈怠すれば損害賠償責任を負うと解すべきとする学説[1]や同様の事情を考慮して取締役の責任を認めた裁判例(佐賀地判平成23年1月20日判タ1378号190頁)も存在する。
総会決議等が存在しない場合における退職慰労金不支給を巡る紛争は、中小同族会社において問題となることが多く、上述した各裁判例もまた非上場会社における事案であるが、本件は、上場会社において総会決議等が存在しない場合の退職慰労金相当額の支払いが問題となった点で特徴を有する。
本判決は、報酬等の支給に係る株主総会決議がないこと等を理由とし、Xらの各請求を棄却しているが、本件では、Y1社が東証第一部上場の物的会社で、そもそも上記ⅰ)乃至ⅲ)の各法律構成が適用されてきた事案とは異にしており、実際にもⅲ)Y2がY1社の過半数株主であるとの事情や、その他上記ⅰ)乃至ⅲ)の各法律構成を支える事情も存在しなかったのであるから、従来の裁判例を踏まえても、退職慰労金相当額の請求を認容することが困難であった事案といえる。
本件と同様に上場会社における退職慰労金の支給が問題となった事案として、東証第二部上場企業において、退任監査役に係る退職慰労金支給議案を株主総会に提出しなかったことが不法行為に当たるとしてなされた会社及び代表取締役に対する損害賠償請求が、株主総会決議を経ていないこと等を理由として棄却された東京地判平成30年2月20日判タ1458号217頁(宮入バルブ製作所損害賠償請求事件)がある。
以上の裁判例を踏まえると、特に上場会社において、退職慰労金の支給が受けられることを前提として会社との間で取締役任用契約を締結しようとする者は、退職慰労金の支給にかかる株主総会決議を事前に得ておくことが最も安全かつ簡便であろう。