日本加除出版より2018年に出版されました「弁護士13人が伝えたいこと 32例の失敗と成功」より、弁護士加藤真朗による執筆部分を掲載いたします。
5 心証開示
「信じられない」。
裁判長を前にして、私の口からは無意識に言葉が漏れていた。場所は午後の気怠さに包まれたA地裁のラウンドテーブル、裁判長が売買の対象物は砕石事業と考えているとの心証を開示したときのことであった。
私は、茫然自失となりながらも、その後裁判官と議論を重ねた。1時間近くに及んだと記憶している。最終的には、裁判官に主張・立証の補充の機会を与えてもらえた。今思えば、売買の対象物について客観証拠が存在しない本件においては、裁判所も悩んでいたのだと思う。
心証開示で打ちのめされている暇はなかった。
我々は、舞台となった某島を調査のため訪れていたが、心証開示を受け、再訪三訪し、事情を知っている可能性のある人たちに次々と話を聞いて回った。レンタカーで信号が僅かしかない緑が濃い島内を激走した日々が今も記憶に残っている。またY氏との交渉に関与したB県担当者に会うためにB県も訪れた。また、かつて砕石事業に関与していたと思われる人物D氏に会うために長崎県にも行った。私自身は行かなかったが東京にも事情を聞きに行った。X社専務はほとんどの調査に同行した。
多大な労力をかけたこれらの調査の大部分はあまり収穫がなかった。
ただ、D氏との面談は意味があった。
D氏の居場所については、人伝で判明した。シャッターつきの倉庫が多数併設された会社の事務所のような建物であった。会社名の看板が掛かっていたように記憶する。呼び鈴を鳴らし、声をかけたが、誰も出てこない。折角長崎まで来たのだから、このまま帰るわけにはいかない。専務、吉村、私も建物の周囲をブラブラして、誰か人が来るのを待っていた。どれくらい時間が経っただろうか。専務が建物内に人影を見かけた。我々は執拗に扉をたたいた。扉が開き姿を現したのがD氏であった。
入れ墨を隠そうともしないD氏は我々の用件を聞くと意外にも部屋に招き入れてくれた。D氏は「現役時代」の話や長期服役の話は滔々と語ったが、某島時代の話は余りしてくれなかった。しかし、段ボール箱に溜め込んでいた相当量の資料を見せてくれ、こちらに提供することを承諾してくれた。
これらの中には砕石事業の採算性が悪く、かなり早い段階で頓挫していたことを示す内容のものも含まれていた。訴訟において決定的とまでは言えないが、砕石事業を売買の対象と認定するには疑問符がつく有利な資料であることは間違いなかった。
光が見えた。
もっとも、それだけで裁判官の心証を覆すことができるのか自信はない。そこで、心証開示後の調査過程自体を専務の陳述書としてまとめ提出した。こちらが虚偽を述べているのであれば、ここまで、無駄になるかもしれない努力をするはずがないからである。
6 逆 転
弁論が終結し、判決期日が指定された。Y氏側から売買残代金について反訴されているので、負けると会社が倒産するかもしれない。判決が近づくと不安を抑えることができなかった。
迎えた判決当日、裁判所に主文を問い合わせた事務員の報告を受けた。勝っていた。嬉しかった。
控訴審でも勝利し、最高裁も上告を受理しなかった。控訴審も長かったため、保全の申立から最高裁の不受理決定まで約8年かかった。
7 この事件から得たもの
この事件を受任し、良い結果を出せたのは、まずチャレンジ精神があったからだと思う。何とかできないか、何か良い方法はないか、と考えをめぐらせ、行動したことが、功を奏したのだと思う。
また、もし不利な心証を開示された段階で諦めていれば、それまでの労力がすべて水泡と帰しただけでなく、社長、専務に取返しのつかない申し訳ない結果となっていた。
結局、この事件を勝ちきることができたのは、事件に対する執念であろう。本件の場合は、親しく交友していたY氏の言を信じ、売買を積極的に推進し、会社を危機に陥らせたX社専務の執念が我々に乗り移ったのかもしれない。
弁護士13人が伝えたいこと | 日本加除出版 (kajo.co.jp)
世代も専門も異なる13人の弁護士が、担当した事件の中から印象に残る32例の事件をストーリー形式で紹介。成功事例だけでなく失敗事例も収録。
事件処理のポイントとなった行動から独自の工夫、当時の心境まで、事件の経過を振り返りながら語られ、どのように考えて事件に取り組み、解決に向けて苦悩したのかなど、各弁護士の経験と知恵がこの書籍に収録されている。
特に若手弁護士に読んでいただきたい書籍としてご好評をいただいており、司法修習生や法科大学院生といった弁護士を目指す方はもちろん、弁護士の仕事に興味のある方など、幅広い方に手に取っていただきたい一冊。