先日、一年に一回の弁護士会の法律相談に行ってきました。
一年に一回は行かないと弁護士会に"罰金"を上納しなければいけませんので、重要なお務めです。
その日は雪がちらつく日で、法律相談の部屋も靴底からじわじわと冷える寒さでした。解放後、空腹だったこともあり蕎麦湯で温まりたいなと思い、お蕎麦屋さんに飛び込みました。
鴨ざるを美味しくいただき、蕎麦湯で温まって人心地ついたのですが、ふと以前よりお蕎麦の値段が高くなっている気がしました。
高くなっていてもその値段の価値は十分ありましたので問題はないのですが、教材のプリントを綴じるバインダーが一冊1000円したと家で聞かされ、「たっか!」と思った直後でしたので、日常的な買物をしない私でも物価高を実感した次第です。
昨年来、ロシアのウクライナ侵攻、円安もあって大幅に物価が上昇したため、生活を守るため物価上昇率を上回る賃金の上昇を求める声が各方面から噴出しています。
政府もアベノミクスで狙ったトリクルダウンが実現できなかったこともあって、成長と分配の好循環を目指して、経済界に対し強く賃金引上げを求めています。
経団連も賃金引上げに前向きであるため、長年の賃金抑制傾向が変化する絶好のチャンスを迎えています。
人件費をコストと捉え、これを抑制しようとの思考は経営者であれば誰もが陥るものでしょう。
一度引上げた賃金を下げることが困難であることから当然のことです。
解雇規制が厳しい現状では尚更です。
しかし、そのような思考が長期にわたって蔓延した結果が、"失われた30年"の一つの要因になってしまったのでしょう。
政府もまったく手を拱いていたわけではありません。
トリクルダウンを実現するために、安倍政権下で"官製春闘"と呼ばれる経済界への賃上げ要請が行われてきたことは皆様ご存じのとおりです。
これは、コーポレート・ガバナンスの世界にも表れています。
2021年コーポレートガバナンス・コード改訂では、「人的資本」との言葉が強調されています。
例えば、補充原則4-2②では、「取締役会は、中長期的な企業価値の向上の観点から、自社のサステナビリティを巡る取組みについて基本的な方針を策定すべきである。また、人的資本・知的財産への投資等の重要性に鑑み、これらをはじめとする経営資源の配分や、事業ポートフォリオに関する戦略の実行が、企業の持続的な成長に資するよう、実効的に監督を行うべきである。」と定め、
補充原則3-1③では、「上場会社は、経営戦略の開示に当たって、自社のサステナビリティについての取組みを適切に開示すべきである。また、人的資本や知的財産への投資等についても、自社の経営戦略・経営課題との整合性を意識しつつ分かりやすく具体的に情報を開示・提供すべきである。」としています。
企業の持続的成長や企業価値の向上のためには人的資本への投資が重要であることを正面から認めています。
人件費を抑制して利益を確保するやり方は企業の将来的な成長にはマイナスであり、適切な人材へ適切な賃金を支払うなど人的資本へ投資することが重要だということです。
"人、物、金、情報"というリソースでもっとも重要なものが"人"であることに異論がある方は少ないと思います。
その観点からすると、当然のことが記載されたと言えばそうですが、上場会社に大きな影響を与えるコーポレートガバナンス・コードに「人的資本」との文言が入ったことは評価するべきでしょう。
人的資本についての開示は、前述のとおりコーポレートガバナンス・コードでも求められていますが、法定開示書類である有価証券報告書においても、新設されるサステナビリティ情報の記載欄の「戦略」の枠において、「人材育成方針」、「社内環境整備方針」の記載が必要となります。
内閣官房 新しい資本主義実現本部事務局からは詳細な「人的資本可視化指針」が公表されています。
20220830shiryou1.pdf (cas.go.jp)
以上見てきたとおり、コーポレート・ガバナンスの観点からも上場会社においては人的資本への関心は相当高まっており、また優秀な人材を採用し、引き留めるという経営上の要請からも上場会社等の大企業においては賃金の引上げは必至の情勢です。
問題となるのは、雇用の7割を担う中小企業です。
報道される中小企業を対象とした賃上げ動向についてのいくつかの調査では、残念ながら引上げに消極的な結果が出ています。
中小企業は仕入れ価格の高騰分について一部しか価格転嫁できていないと言われています。
それでは賃上げする余力がないのも当然です。
大企業は、中小企業の価格転嫁に是非協力して頂きたいところです。
コーポレートガバナンス・コード補充原則2-3①でも、「取引先との公正・適正な取引」はサステナビリティを巡る課題の一つに掲げられています。
サプライチェーンを守ることは、企業の持続的成長や企業価値の向上のためには不可欠ではないでしょうか。
長年解決せずに放置してきた多くの課題が限界に達し、このまま衰退を余儀なくされるのか踏ん張ることができるのか、その瀬戸際まで追い詰められているのが我が国の置かれている状況ではないでしょうか。
我が国の盛衰は、長期的視点に立つと、海外売上比率の高いグローバル企業も含め企業の成長にとっても無縁ではないはずです。
大企業経営者の方々には、日本企業の良き文化である「三方よし」の精神で、中小企業も含め賃金を引上げることができる環境を生み出すようにご尽力下さることを期待しております。
加藤真朗
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